すべてをひっくり返した玉音放送が、ジャーナリストを志す基点になった
僕はこの4月に、88歳になる。
マスメディアの世界に身を置いてからも半世紀をはるかに越える。
この間、さまざまなことを見てきた。
小学校(国民学校)5年の夏休みに聞いた玉音放送。2学期が始まり、一斉に大人たちが民主主義を語りだす。これまでの価値観がひっくり返り、もう自分の眼で見たこと、確かめたことしか信じないと誓った。ジャーナリストとなり、いくつもの政局、政争に立ち会い、政治家たちと真剣に本音で渡り合ってきた。戦争や経済危機の最中も、かならず現場に出た。
TVの番組はいまも続けている。マスメディアとともにあり続けてきた今日までを語りたい。
プーチンの誤算とバイデンの苦しみ
2月24日、プーチンがウクライナで戦争を始めた。
あきらかな侵略戦争である。しかし、誰もこの戦争を止められない。欧米西側諸国、国連はすぐに対抗措置、ロシアへの強力な経済制裁を決めた。それでも軍事攻撃は続き、都市は破壊され、避難民と市民の死者は毎日増え続ける。第二次世界大戦終結から77年目。欧州はグローバル化が日常となったこの21世紀にふたたび戦火を見ることとなった。米国バイデン大統領も自国の兵士を戦場に送ることなどできない。すぐさま世論の反発を受け、民主党も今年の中間選挙、次の大統領選での手痛い敗北が必至となる。バイデンも2020年秋のトランプの失敗を見ている。そしていまトランプが復活を虎視眈々と狙っていることも。僕はこの戦争、長期化すると考えている。それはプーチン最大の誤算でもあるのだが。
石原慎太郎は意見が異なる人間を否定しなかった
だからなのか、最近よく思うことがある。石原慎太郎のことだ。
石原慎太郎さんは僕より学年で二つ上。今年の2月1日、89歳で亡くなった。
石原さんとは、ともかく長い付き合いだった。
最初は僕が一方的に「作家・石原慎太郎」を知った。僕は早稲田で文学部に通いながら、作家を目指していた。そしてある日、『太陽の季節』を読んだ、衝撃だった。すさまじいリアリティ、これまでの価値観を真っ向から粉砕する、強烈な迫力に圧倒された。「とてもかなわない」、僕は作家の道をあきらめた。石原慎太郎に挫折さ せられた、と言ってもいい。その後、石原さんは政治の世界に入り、僕はジャーナリストになった。
ある時、雑誌の依頼で、石原さんと対談をすることになった。
石原さんは「いまの日本は対米従属であり、自立した国家にならなければならない。そのためには憲法を改正し軍隊を持つべきだ」と主張した。僕は石原さんの持論に「リアリティがない」と反論し、大げんかになった。大げんかはそのまま記事となり、石原さんはさぞ怒っているだろう、と思っていた。ところが後日、石原さんの秘書から電話がかかってきた。その記事を「後援会の冊子に転載してもよいか」という許可の連絡だった。なんと「石原がとても面白がっている」というのだ、あの大げんか記事を、である。
僕は驚き、同時に石原さんの懐の深さ、人間の大きさを感じた。
意見が違う人間を否定しない、そしてその意見をきちんと聞く。石原さんと僕の考え方は違うが、その点は一致していたと思う。石原さんと僕は何度も意見を闘わせ、共著も出した。
冷戦によって保たれていた日本の安全保障
僕は日米同盟を保持すべきと思っている。
外務省に岡崎久彦さんという安全保障問題の論客がいた。
小泉純一郎内閣の時、この岡崎さんが「困ったことになった、東西冷戦が終わってしまった」と。「それは平和になってよかったじゃないか」「いや、困るんだ」。なぜか。日本は西側の極東部分。東西冷戦のときには、米国は西側の極東を守る責任があった。ソ連という敵がいなくなり、米国は西側の極東を守る責任がなくなった。これまでの安保条約は日本が攻められたら米国は日本を守る。米国が攻められても日本は何もしない、だった。冷戦終結後、それではもう日米同盟は持続できない。持続のためには片務から双務に変えよ。双務とは米国がやられた時は、日本は米国のために戦え。ところが、日本国内では双務への反対が強い。小泉は断固反対。安倍内閣になって、双務に変えようとした。これが集団的自衛権。ただこれは限定的双務。それでもこれをやらないと米国はこの日米同盟は持続できない。もしも日米同盟がなくなったら、日本でも核武装の問題が出てくる。
第二次世界大戦後、米国は世界で一番強い国だった。パックスアメリカーナ、世界の平和を守るのは米国が前提だった。21世紀となってオバマ大統領が登場し、米国は世界の警察官をやめると宣言、トランプ大統領はパックスアメリカーナを放棄すると言い出した。まさに、石原慎太郎の意見が正論になってきた。
岡崎久彦の歴史観はこうだ。日本は日露戦争を始める時に、日英同盟を結んだ。第一次世界大戦が終わった後、米国が日本に対し日英同盟を破棄しろと言って、日本は同盟を破棄してしまった。彼はこれが間違いだと言った。日英同盟を結んでいれば、満州事変も起こらなかった。日英同盟を破棄したために、日本は国際社会で自立しないといけない。自立するためには、強くならないといけない。欧米の国々がアジアを全部植民地にしている、アジアを解放しなければいけない。それで満州事変をやって失敗した。僕は米国がパックスアメリカーナをやめても、日米同盟はなんとか持続したほうがいいと、歴史を振り返り、あらためて思う。
今になって迫ってくる石原慎太郎の掲げた「日本自立論」
僕は石原さんの「日本自立論」を「リアリティ」がないと批判した。
しかし、いま米国は格差が広がり、国内は分断、他国を守る余裕などない国になっている。つまり、日本の「対米従属」は不可能となり、日本の「主体的安保」は必要に迫られている。「憲法改正」すべきという、石原さんの論は非常にリアリティを持って迫ってくる。
石 原さんは「作家として政治を行った」人だったと思う。
作家というのは、「波風を立てる」のが仕事だ。
だから忖度などせず、多くの発言で日本に波風を立ててきた。そして、そこには確固たる信念があった。あれだけ言いたいことを言った政治家は後にも先にもいないだろう。
もっともっと議論をしたかった。
言論の自由を守るために、命を懸ける
ジャーナリストは権力者に言いたいことをきちんと言って渡り合うべきだと思う。
いまも続く「朝生(朝まで生テレビ!)」が始まってしばらくした頃、番組の評判がよく、テレビ朝日では週に1回の番組もやろうとなって、「サンデープロジェクト」が始まった。最初はワイドショーの数あるコーナーの一つという扱いだったが、イラク戦争が勃発したり、だんだん政治の話題が中心となってきた。石原慎太郎さんには、この「サンデープロジェクト」に何度も出演してもらった。番組では、自民党から共産党まであらゆる政党、さまざまな立場で自由に論争できることを貫いてきた。とにかく言論の自由を守るためには、命を懸ける。そして、戦争を知っているほぼ最後の世代として絶対に戦争をしない、させない。
これはいまも変わらない僕の信条だ。
ウクライナの惨状を目の当たりにして、ジャーナリストとして信条としてきたことを、あらためて噛みしめている。次回は、映画監督・大島渚のことを中心に話したい。あの1945年の夏、僕より年長だった大島渚は何を思い、考えたのか。戦争とメディアの話を、もう少し続けていきたい。