近世の密輸と現代のタックスヘイブンはどう違うのか
租税回避(tax avoidance)とは、税金というものがかけられるようになってから、ずっと続いている行為であろう。そもそも人はできれば税金など支払いたくないからである。だから租税回避行為とは、人間の性ともいえるのである。
税金をかけることができるのは、究極的には国家だけである。それゆえ租税回避行為とは、必然的に反国家という行為になる。ただし、ある国に対しての租税回避が、別の国にとっては租税遂行行為となることもある。仮に個人であれ法人であれ、どこかの国に税金を納めなければならないなら、できるだけ税額が少ない国で納税するはずだ。
現在、いわゆるタックスヘイブンが存在しているのは、おそらくはそこに由来する。だがまた租税回避行為がずっと昔から現在まで続いているとするなら、今と昔ではどういう差があるのかという疑問が出てくるであろう。
ここでは、その問題を取り上げたい。近世のイギリスで大量に消費された茶の少なくない部分が、当時の典型的な租税回避行為であった密輸という行為によって輸入されていたのに対し、現在では、企業や個人がタックスヘイブンを利用して租税を回避している。この違いは、いったいどういう理由から生じ、そして何をもたらしているのだろうか。
高い関税が密輸を生じさせた
イギリスが紅茶の国であることは誰でも知っている。その茶は、元来イギリス東インド会社がアジア、とりわけ中国の広州から輸入したものであった。しかし現実には、この会社が茶の輸入を独占していたわけではなかった。
まだ経済水準があまり高くなく、外国の商品をいわば「舶来品」として崇めていた18世紀のイギリス人は、茶が欲しかった。すでに18世紀になると、イギリスの上流階級の人々のあいだで茶を飲む習慣は普及していた。どのような商品でもそうだが、商品が普及すると大量生産が可能になり、商品価格は大きく低下する。上流階級のみならず、下層の人々に至るまで、茶を飲むことができるようになるはずであった。それをさまたげていたのが、高い関税率であった。イギリスがアジアから輸入する茶には、100パーセントを超える関税がかけられていた。
この障壁を克服する方法は一つしかなかった。すなわち、密輸である。その際に重要だったのは、スウェーデンとフランスであった。
スウェーデン東インド会社と茶
本国スウェーデンでさえ知られていない貿易会社であるスウェーデン東インド会社は、1731年に創設され、1813年に解散した。スウェーデン東インド会社の貿易とは、広州からの茶の輸入を意味し、大量の茶がスウェーデンへと輸入されたのである。
だが、スウェーデン人は、茶ではなくコーヒーを飲むことで有名である。そのスウェーデンに、国民全員が飲んでもまだまだ余るほど大量の茶が輸入された。そのため、茶の多くは再輸出されることになった。
茶はまずオランダとオーストリア領ネーデルラント(現ベルギー)に向かった。オランダは当時のヨーロッパ最大の商業国であり、オーストリア領ネーデルラントの都市オーステンデは、1727〜31年間の短期間しか続かなかったが、アジアとの貿易に従事したオーステンデ会社の根拠地があった都市である。したがってヨーロッパ有数の貿易都市であり、おそらくスウェーデンからオーステンデへと、茶が輸出された。
その多くは、おそらくイギリスにわたった。イギリスはヨーロッパ最大の茶の消費国であったからだ。そして、イギリスへの茶は密輸であった可能性がきわめて高い。スウェーデンの茶は低級茶であり、所得が低い階層の人々が飲んだものと思われる。
フランス東インド会社とブルターニュ
フラン スも英蘭と同様、東インド会社を創設した(1604年)。フランスにおけるフランスインド会社の根拠地は、フランス北西部のブルターニュ地方のロリアンにあり、アジアの拠点としては、ポンディシェリ、シャンデルナゴルがあった。ブルターニュの茶の輸入量は、17世紀終わり頃の10万ポンドから、17世紀後半には200万ポンド弱へと急増した。
周知のように、フランスは茶ではなくコーヒーの消費国である。したがってこの茶は、世界最大の茶の消費国イギリスに密輸された可能性が高い。
18世紀の中頃において、茶の輸入に関しては、ブルターニュが占める比率は80パーセントを超えた。ブルターニュからの茶は、主としてイギリスとオランダに輸送されたと考えられている。オランダからどこにいったかはわからないが、イギリスに輸出されたと考えるべきであろう。しかもフランスの茶は高級であったので、イギリスの富裕層によって飲まれたと推測されるのである。
密輸がイギリスを世界最大の紅茶消費国にした
イギリスは、18世紀の世界最大の紅茶消費国であった。しかし、その茶はイギリス東インド会社が輸入したものとはかぎらなかった。イングランドの茶の密輸入量は400万〜750万ポンドだと推測されているが、この数値は、合法的輸入よりも高いのである。
密輸を促したのは、イギリスの茶に対する関税の高さであった。1784年に減税法が導入されるまで、茶に対する税率は80パーセントを下回ることはほとんどなく、100パーセント を越えることも珍しくはなかった。
減税法が実施されると、密輸への誘惑は減った。さらに、1783・84〜1792・93年には、中国の広州からの茶の総輸出量は2億8500万ポンドであり、それ以前の10年間と比較すると、1億ポンド以上増えた。しかも、広州からイギリス商人が輸送する比率は大きく増えた。広州からイギリスへと、密輸されることなく輸出される茶が増えたことであろう。
イギリスが世界最大の紅茶の消費国になった背景には、密輸があったことは間違いない。逆説的な話だが、もしイギリスが茶への税率をもっと低くしていたなら、イギリス人は茶を飲む国民とならなかった可能性もあるのだ。いやむしろ、密輸こそイギリス人が茶を飲む行為を形成したといっても過言ではない(上に述べた議論については、玉木俊明『海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム』講談社選書メチエ、2014年を参照のこと)。
税率が高いから租税回避が生じる
これまで述べたことからおわかりいただけるように、18世紀のイギリスにおいては、茶に対する関税率があまりに高く、それが茶を密輸する大きな要因となった。1784年の減税法で、正確には茶への関税率が119パーセントから12.5パーセントへと大きく低下したことによって、密輸という危険な行為をする必要はなくなったのだ。
租税回避行為が発生する大きな要因の一つに、高い税率がある。たしかに、われわれはあまりに税金が高いと、なんとかして税金を逃れようという気持ちが大きくなる。18世紀のイギリスでも租税回避行為が 発生し、もしかしたら政府が本来入手できたはずの税金を失っていたのかもしれない。
さて、話を現代に戻そう。税率の高さが租税回避行為につながるとするなら、企業にとって法人税の高さは、この行為に走る大きなきっかけとなる。特に、現代のようにグローバリゼーションが進んだ時代においては、法人税が高くなると企業の根拠地を移動させる大きな誘因となる。それが、タックスヘイブンを生み出す主要な要因である。
ただし、「高い」というのは、実は主観的な判断なのである。ある人や企業にとっては普通だと思える税率が、別の人や企業は「高い」と感じるかもしれない。
6億2800万ユーロが社員のいない地域で生み出される
私は、貧困をなくすために世界90カ国以上で活動しているNGOのオクスファムのレポートをもとに、EUのトップ20がしていると思われる租税回避行為について論じたことがある(『金融化の世界史』ちくま新書、2021年)。ここではそこでの議論を、もう一度振り返りたい。
オクスファムのレポート(Oxfam International, “Opening the Vaults: The use of tax havens by Europe’s biggest banks”, 2017)によれば、EUのトップ20の銀行は、利益額の4分の1をタックスヘイヴンから取得していた。その総額は、2015年には250億ユーロであったと推計さ れる。
EUのトップ20の銀行の利益額のうち、タックスヘイヴンの占める割合は26パーセントであった。それに対し、タックスヘイヴンの売上高は全体の12パーセントしかなく、従業員の数にいたっては7パーセントしかない。これらの銀行は、タックスヘイヴンで巨額の利益を得ているのである。
2015年には、EUのトップ20の銀行は、タックスヘイヴンの地として有名なルクセンブルクで49億ユーロの利益を出した。この額は、イギリス、スウェーデン、ドイツを合わせた額よりも多いのである。
もう少し、具体例をあげよう。ヨーロッパで5番目に大きな銀行であるイギリスのバークレー銀行は、2015年にはルクセンブルクで5億5700万ユーロを登録しており、100万ユーロの税金を支払った。ここからわかるように、税率はわずか0.2パーセントでしかない。
銀行にかぎらず、企業はタックスヘイヴンで得た利益に対して、まったく税金を支払う必要がないこともある。ヨーロッパの銀行は、2015年にタックスヘイヴンで生み出された3億8300万ユーロの利益に対し、1ユーロの税金すら支払わなかったのだ。
さらにヨーロッパでは、営業している国々で巨額の損失を出している場合もある 。たとえば、2015年にドイチェバンクはドイツで損失を出していたが、タックスヘイヴンでは18億9700万ユーロの利益を計上していた。
ヨーロッパのトップ銀行の利益は、誰一人として雇用されてはいないタックスヘイヴンで稼がれている。ヨーロッパの銀行全体の利益のうち、少なくとも6億2800万ユーロが、誰一人社員が雇われていない地域で生み出されているのである。これは奇妙な現象というほかない。
タックスヘイヴンの労働者が得る4倍の利益
タックスヘイヴンは、銀行の活動に大きな利益を与えてきた。それと同時に、タックスヘイヴン自体も巨額の富を得ているはずである。EUにおいて、銀行で働く平均的なフルタイムの労働者が生み出す利益は年間4万500ユーロであったのに対し、タックスヘイヴンの労働者のそれは、年間17万ユーロである。タックスヘイヴンの銀行は、平均でじつに4倍ほど多くの利益を生み出しているのだ。
ではなぜ、タックスヘイブンはこれほど巨額の利益を生み出しているのか。もっとも可能性の高い推測は、銀行はEUで稼いだ利益を、税金がまったくないか、あってもごく僅かである国に移転させているということである。それをある程度裏付ける事実は、タックスヘイヴンの子会社で働く銀行員の数が非常に少ないということである。本当に巨額の利益を生み出すほど働くなら、もっと多くの銀行員が必要だからだ。
EUの巨大銀行は、銀行の母国における一人あたりの労働者の平均生産額は2万9000ユーロであり、タックスヘイヴンの銀行員の6分の1以下にすぎない。EUをベースとする銀行は、母国ではあまり利益を上げ ていないか、場合によっては損益を出しているので、タックスヘイヴンとの利益額の差は広がっていくばかりである。
タックスヘイブンは市民にプラスをもたらすか
近世ヨーロッパの租税回避行為の一事例として、イギリスの茶の輸入を取り上げた。この時代の経済はモノを中心としており、その流通過程で密輸をおこなっていた。通常、密輸基地として選ばれるのは小国や小さな島々であった。遠隔地から商品を輸入するので、密輸行為には、数か月間から1年間ないし、場合によってはそれ以上の時間がかかった。
それに対し、現在の租税回避行動は、パソコンのキーボードをクリックすればそれで完了となる。モノが移動することはない。これは、ICTが発達し、金融社会が誕生した時代の租税回避行為の大きな特徴である。密輸品を隠すより、はるかに容易に租税から免れることができるのである。
密輸基地として選ばれた地域がタックスヘイブンになっていることも珍しくない。イギリス領のチャネル諸島やマン島がその代表である。さらに、これは推測の域を出ないが、カリブ海諸島のタックスヘイブンとして有名な英領ヴァージン諸島とケイマン諸島は、おそらく密輸基地であった。カリブ海諸島の代表的な作物であったサトウキビ栽培には適さない小島が多く、そのような島を利用して、密輸していたと推測されるからである。
大胆にいうなら、近世の密輸基地が現代のタックスヘイブンへと変貌し、そのうちかなりの地域が大英帝国に関係していたと考えられるのである。
企業がタックスヘイブンを利用する傾向は、アメリカの株主資本主義によって 強められた。この考え方によれば、企業は株主のものである。株主は短期的な利益の増大を声高に主張する。そればかりか、株主にはできるだけ税金を支払わないという権利が付与されている。彼らは、主観的に税金が高いと考えているのだろう。より巨額な利益を求め、アメリカ企業が製造業から金融業へと重心を移したばかりか、タックスヘイブンを利用するという行為をしているのも、当然のことだと考えられよう。
18世紀のイギリスは、密輸という形態での租税回避行為により、茶を密輸入した。そのため、消費水準は結果として高まった。それに対し、現在のタックスヘイブンを利用した企業の利益拡大は、所得格差という大きな問題を発生させた。ではタックスヘイブンは、社会にどういうプラスをもたらすことができるのだろうか?
参考文献
『海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム』玉木俊明(講談社 2014年)
『金融化の世界史』玉木俊明(筑摩書房 2021)
Oxfam Internationa(2017)Opening the Vaults: The use of tax havens by Europe’s biggest banks