あれ、女性大工が増えてない?
国土交通省住宅局が実施している事業に「大工技能者等の担い手確保・育成事業」というものがある。関連HPには、この事業の目的が次のように書かれている。
「本事業は、大工技能者の減少・高齢化が進行する中、処遇改善、働き方改革、外国人受入れや女性活躍等といった環境変化に対応しつつ大工技能者等を確保・育成するための研修活動等を支援することにより、木造住宅及び都市木造建築物の生産体制の整備を推進することを目的とするものです。」
この目的に沿って、国は、複数の大工技能者関係機関が連携して実施する大工技能者の技能向上のための研修活動や大工技能者が能力・経験に応じた処遇を受けられる環境整備の取組等に対する支援を実施している。そして年に1度、その支援を受けた全国各地の大工技能者関係機関等が一堂に会して成果発表を行う機会がある。この事業に些か関係してきた経緯のある筆者にも、その発表会の案内が届く。
2020年度の成果発表会の時だった。大工技能者の技能向上のための研修活動の報告書の中に、各地での研修活 動に参加した大工の人数が記載された表を見つけた。そして、少々驚いた。すべての研修ではないが、複数の地域の研修で女性の参加が見られたのである。女性大工だ。こういう研修を受ける若い女性大工が全国各地にいるというイメージはなかっただけに、とても興味深く思った。何か明るい兆しのように感じたのだ。早速、女性が研修に参加したという報告をあげていた各地の団体に連絡を取って質問した。「この女性大工の方々のお話を伺う機会を作っては頂けませんか」と。有難いことに、全国の8団体が協力して下さり、16名の女性大工の方々にインタビューすることができた。今回と次回は、2回にわたりこのインタビューで聞くことのできた女性大工の皆さんの生の声を紹介したいと思う。彼女たちこそ「ものづくり未来人」だと思うからである。なお、このインタビューは、科学研究費基盤研究(B)「建築現場を担う人材の多様なあり方に関する研究」(課題番号20H02326)の一環として行った。
小さい頃から大工に憧れていた人たち
今回は、彼女たちが大工になった経緯について語った内容を紹介しておきたい。総じてものづくりが好きだからとか、体を動かす仕事が性に合っているとかいう人が多かったが、事情はそれぞれである。先ずは幼い頃から大工に憧れていたというユキエさん(仮名)から。
【長野県のユキエさんの話】
初めは小学校の頃、近所で建て方をやっている大工さんの姿に憧れて。その時点では大工になりたいというわけではなくて、良いなという気持ちでした。そしてしばらく経って、高校生の時に、先生が技術専 門学校というところがあるよと他の人に言っているのを小耳にはさみ、調べてみて「ああ良いな」って。その時に、ふと小学生の時の光景を思い出しました。そう言えば、かっこいい大工さんって最近見ていないから、自分がなっちゃおうと思いました。それで、高校卒業後に技術専門学校の大工科に入りました。
入学時に同級生は20名近くでしたが、卒業できたのは1桁です。その中にもう一人女性がいましたが、彼女は大工にはならなかったですね。大工科では座学と墨付け・刻み(柱や梁の継手仕口等の加工)の実技が主です。それが滅茶苦茶楽しかった。そうして1年が経ち、専門学校に来ていた求人を見て、今いる会社でのインターンシップを経て社員として入社しました。今は入社7年目になりましたので、現場も何件かやっています、親方として。後輩もどんどん入ってきたので、今は26歳ですが中間位の立場になっちゃっています。後輩はみんな男性ですが、色々教えています。
次にやはり幼い頃から大工に憧れていたというミユキさん(仮名)の話。
【山梨県のミユキさんの話】
私の父と祖父が大工で工務店をやっていまして。祖父母の家が加工場と兼用になっていて、その家に泊まった時に、父や祖父が加工場で柱や梁の加工をして道具を扱う姿がかっこいいなと憧れを持ちました。自分もああいう風になりたいなと。この気持ちは保育園の時からずっと変わりません。2人の兄が家業を継がなかったので、そのうち自分が継ぐのかなという考えは持っています。
中学卒業後に迷わず工業高校の建築科に入って、高校卒業後はすぐに今の会社に大工として就職しました。工業高校の建築学科の同級生は40人程で女性は9名。大工になったのは私だけです。他の女性は設計か、大学に進学したか、建築とは全く関係ないことやっているかですね。私は初めから大工志望ですが、母親から家の工務店に入るのは世間知らずにもなるし甘えにもなるから外に出なさいと言われて、色々な大工さんから教わることも良い経験になると考え、他の工務店に社員大工で入る決断をしました。ただ、高校に来る求人の中で「女子可」というのがなかなかなくて。大工の場合、大体「女子不可」と書いてある。そこで先生に相談して、今の会社を紹介してもらったのです。入社して1年半ですが、楽しくやらせて頂いています。
次は幼い頃から古い木造建築が好きだったというサオリさん(仮名)の話。
【福岡県のサオリさんの話】
私は子供の頃から日本の古い神社仏閣や古民家が好きでした。それで大学にそういう学科があったので入学して、古民家等を見学している時に、これはどうやってつくられているのかなということに興味が湧き、自分でもつくってみたいなと思って大工になりました 。今働いている工務店は、古民家再生もたまにやるようですが、私が入ってからはまだそういう仕事はありません。ただ、今の普通の木造住宅のように全自動加工機械による継手仕口の加工は使わず、伝統構法に沿った墨付け・手刻みをしています。それを、私も含めて5名の大工でやっています。私以外は全員一人親方です。私は初めての社員大工ということです。色々な面で社員として雇ってもらえる方が良いなというのはありました。入社してまだ1年半ですが、ここで伝統構法の基礎的なことをきちんと学んで、将来は古民家再生ができるようなところにも行ってみたいなと思っています。
次は小学生の頃に見たテレビ番組で大工を知ったというナミさん(仮名)の話。
【福岡県のナミさんの話】
私はテレビですね。「ビフォーアフター」。中学に入る前に見て、大工という職業があるのを知ったんです。それでもう、小学校の卒業文集の「将来の夢」は大工。決意は固かったですね。中学に入ってすぐに次は建築科のある工業高校に入ろうと思っていました。工業高校の建築科に入ってみたら、同級生40名の内、女性は12名。その中で大工になったのは私だけ。他の人は設計事務所とか、現場監督とかですね。今の職場は高校時代に求人を見て、ここが良いなあと思って決めました。ポイントはインスタの写真。それがかっこよかったんです。
次はお母さんと住宅展示場に行ったのがきっかけというマコさん(仮名)の話。
【新潟県のマコさんの話】
母が住宅展示場をまわるのが趣味で、それに付いて行ったのがきっかけで、建築に興味を持って いました。小学校ではもう大工になりたいと思っていましたが、同級生から女性に大工は無理ではないかと言われて、女性でもやりやすい建築関係の仕事として、設計の方に進みたいと思うようになりました。ただ、数学や理科が得意ではなく、希望している大学の建築学科に進めないかもしれないと思いました。親からは文系を勧められましたが、やりたい仕事ではないと思い、「そういえば大工があった」ということで、親を説得してテクノスクールに行くことにしました。テクノスクールに入ってみて、自分に合っていると感じました。家が建つ光景が好きで、家をつくる仕事こそやりたかったことだと思いました。ただ、同級生で女性は私だけでした。
テクノスクールを出た後は、父の知り合いの関係で今の会社で先ずインターンをやりました。当初は社長から、大工よりも設計向きなのではないかと言われ、インターンとして設計に1週間、大工に1週間入らせてもらいました。設計では、お客さんに渡す模型をつくったり、パソコンでCADを扱ったりしました。大工の現場では、下小屋で木材を加工するなど実際に使う木材を扱いました。両方やってみて、やはり自分には大工が合っていると感じました。
次は中学生の時に宮大工に憧れたというエリさん(仮名)の話。
【秋田県のエリさんの話】
中学校2年生の時に、テレビに宮大工の女性が出ていて、日光の伝統木造建築の修復作業をされていました。それを見てかっこいいなと思い、私もやりたいと思いました。元々は、中学校を卒業したら働こうと思っていて、ある工務店の社長さんに話を聞きに行ったんです。 そうしたらその社長さんが技術専門学校を教えてくれたので、2年間そちらの建築工芸科に行きました。休日には通信制にも行けるので、同時に通信制高校にも通っていました。技術専門学校の同級生は5人でした。女性は私一人でした。2年間、座学と継手仕口等の加工の実技を習いました。そして、宮大工をやっていた先生の紹介で、宮大工系の仕事をしている今の会社に入りました。そういう会社ですから、継手仕口等も機械加工ではなく、墨付けと手刻みをやっています。元々私はそれをやりたかったし、やはり好きです。
非ものづくり系の世界から転職して大工になった人たち
ここまでは小さい頃から大工や木造建築の世界に憧れていてまっすぐに大工になった方々の話だったが、それとは全く異なり、ものづくり系ではない他の職を辞めて大工になった人たちもいる。先ずはコロナ禍で大工に辿り着いたヒロコさん(仮名)の話から。
【長野県のヒロコさんの話】
私は、2020年まで子供と2人で東京に住んでいました。ところが、コロナで会社もなくなって里帰りしました。帰ってきて、最初はタクシーの運転手になったのですが、タクシー業界も仕事がなくて全然稼げない。次にとりあえず一番家の近いところで見つけたのが今働いている工務店でした。いきなり「雇ってくれませんか?」という感じで連絡しました。そこで、現場に出る人なら良いよって言われました。大工さんが何をしているかについては全然知らずに入りました。半年前のことです。
入ったら、いきなり翌日から現場でした。新築の壁のボードを貼っている段階で した。ガンでビスをバンバン打つだけだったので、案外楽だしすごく面白いと思いました。そんなに言われるほど大変じゃないなと思って、続けていたのですが、その後初めて建て方をやった時に、信じられない位重いもの、柱や梁を持たされて。「そっち持てよ」みたいな感じで。専門用語も知らないので、大工の親方から指示を受けても、ただただ「?」しかない。それでボーッとしていると、怒られて。これが毎日続くので、辞めた方が良いのかなと悩んでいました。でもその現場が何とか終わった時に、ちょっと自信がつきました。
少しでも自分にできることがあれば、大工の仕事がなくなることはないだろうなと思って続けています。生きていく上で自分の武器になるものを仕事にしようと思っていたので、辞めるという選択肢はないのですが、私がいることで工務店にすごく迷惑をかけているかもしれないと悩んでいたんですね。それが一つの現場を最初から最後まで経験して、自分の中でポジティブに考えて学んでいくという姿勢に変わったように感じています。
次は接客業から大工に転職したトモカさん(仮名)の話。
【宮崎県のトモカさんの話】
以前は接客業をやっていましたが、その仕事を辞めて職業訓練校の住宅リフォーム科に入ったんです。そこでは大工実技もCADもやるのですが、私はどちらかと言うと大工実技の方が楽しくて、やってみようかなと思ったのがきっかけです。同じ学年に女性は15名程いましたが、私以外は皆CADの方に行って、大工をやるという人はいなかったです。私はリフォームの番組を見るのも好きで、そもそも興味があったの ですね。職業訓練校に入って、自分がものづくりが好きだったんだと思いました。他の人はやっぱり現場作業となると肉体労働できついのかなという気持ちがあるみたいですが、実際やってみると、多分皆が思っている程きつくはないと思います。
ものづくりが好き、体を動かすのが好きという人たち
大学等で何かやってみて、結局自分はものづくりが好き、或いは体を動かすのが好きということを再認識して、大工の道を選んだという人も少なくない。というか、今回お話を伺った中ではそういう方が多かった。学歴や専門は関係ない。そこも今日的で興味深い。先ずは、北海道のミキエさん(仮名)、ハナさん(仮名)、ナツコさん(仮名)、アサコさん(仮名)、モモコさん(仮名)、ナチコさん(仮名)の話から。
【北海道のミキエさんの話】
元々日本家屋というか昔のつくりの家が好きで、設計の専門学校に行ったのですが、デスクワークは合わないなと思って違う仕事に就きました。ただ、働いているうちに折角だから体を動かすのだったら大工かなと思い直して、ネット検索で今の会社を見つけて社員大工として就職しました。専門学校の同級生たちは大体設計事務所とか、家具の会社とかで働いています。
【北海道のハナさんの話】
元々何かものをつくったりするのが好きで。大工になりたいと思っていたわけではないのですが、家の近くに大工等の技術系の専門学校があって、オープンキャンパスに行って面白そうだと思って入学しました。専門学校で家を建てる勉強をして、改めて面白いと思ったので、学校に来ている求人を見て今の会社に来ました。学校では一軒の家を途中まで、大まかな大工仕事をやりました。
【北海道のナツコさんの話】
設計をやろうと思って工業高校に行ったのですが、設計事務所のインターンシップに行ったら、イメージと違っていて、どうしようかなと思った時に、地元に職業訓練校があるのでそこに行ってみようと考えました。そこのインターンシップでは鉄筋コンクリート造の現場に行ってコンクリートを打ったり施工管理したりするのを手伝いました。でも、座学で習ったのは木造なので木造の大工が良いなと思って、先生の勧めで今の会社に来ました。設計事務所に行くまではまさか大工になるとは思っていなかったのですが、やはり体を動かした方が楽しいです。
【北海道のアサコさんの話】
大学生の時に研究室に籠る生活が続いていたので、体を動かす生活がしたいと思いまして。昼間肉体労働をして夜はぐっすり眠れる仕事が良いと思うようになりました。森が好きでしたから、森林とか木材に関係する仕事が良いなと思っている時に、たまたま今働かせてもらっている会社に出会って、木造の家を建てていて魅力的だなと思い、弟子入りをお願いしますということになりました。初めは大工とは決めてはいなかったです。元々は林業をしようと思っていました。
【北海道のモモコさんの話】
建築の設計がしたくて大学に入ったのですが、そこでのカリキュラムが現場監督になるためのものでした。それを4年間やっているうちに、自分は体を動かす方が好きだなと思ったのと、授業で手刻みをやっていて、それが 面白いなと思ったのとで、大工技能士の資格試験を受けるようになりました。3級、2級を受けて合格することができたので、自信につながり、大工をやってみたいという決心がついた感じです。今は実務経験を2年積んで、1級の資格を取るのが目標です。
【北海道のナチコさんの話】
中学生の頃から森に興味があって、木を見ているのも何となく好きでした。ですので、大学では森林科学科に属し林業の勉強をしていたのですが、就職する時に、木を使ったものづくりがしたいなと思って就職先を考えました。直接ものをつくると言ったら大工や家具屋かなという思い付きで就職先を探しました。ネットで検索をして、今の会社に行き着きインターンをさせてもらいました。
大学で建築や林産の勉強をして大工になった方も少なくないことがわかってきたが、サエコさん(仮名)もその一人。
【山形県のサエコさんの話】
大学では建築設計を学んでいたのですが、大学のプロジェクトでツリーハウスをつくっていて、そこで実際に手を動かしてものをつくる楽しさを知り、大工に興味を持ちました。ツリーハウスのプロジェクトには20人位の学生が関わりましたが、私のように実際に大工とかものづくりの分野に就職した人はあまりいません。いても各学年に一人くらいでしょうか。ただし、女性は私が初めてだと思います。
最後に、商業系の高校を卒業してから大工になったタカヨさん(仮名)とコナツさん(仮名)の話。
【新潟県のタカヨさんの話】
私が中学3年生の時に父が亡くなりました。その父が大工をしていました。いわゆる一人親方で、自宅に作業小屋がありました。高校を決める時に、母の勧めもあって手に職をと考え、商業高校に進みました。当初は事務職を希望して就活をしていたのですが、今の会社の大工の求人票で女性社員大工の募集があるのを知って、入ろうと考えました。大工はまさに手に職をつけられると思って。この会社にはその時点で既に3人の女性の先輩がいました。25年程前の話です。その求人票を見るまで、自分が大工になるとはイメージしていませんでした。でも、やったことがなくても、入った後でできるようになるだろうと思いました。また、自分は事務仕事向きではないなという感覚がありました。体を動かしたいなという。
【愛媛県のコナツさんの話】
私は高校2年生で大工になりたいと思いました。昔からものづくりが好きで、なんでもつくるのが好きでした。高校は商業科だったのですが、じっとしている仕事は苦手だなと思っていました。たまたま高校2年生の時に、テレビで女性大工の方のドキュメンタリーを見て、それが滅茶苦茶かっこいいなと思って、憧れて、私もなりたいと思いました。その方の出身が愛媛だったんですよ。おお、すごいなと思って。その話を母にしたら、高校の商業科から大工になるよりは、一回職業訓練校のようなところに行って、ちょっとでも勉強してからの方が良いとアドバイスされました。それで地元の職業訓練校に行きました。同級生は15人ですが、年齢も様々でした。女性も4人いました。ただ、大工になったのは自分だけです。他の人の進路は設計士になるとか、営業とか、地盤調査とか。大工になれる訓練は一通りやったのですけどね。皆、私のように大工になろうと思って職業訓練校に来ているわけではなかったのですね。
就職先を探しましたが、なかなか大工の求人がなくて。やっと今の会社に辿り着きました。ホームページで見ていたらすごく良いなと思って決めました。良かったのは、木材の加工を自分たちでやるところだったり、古民家再生もしているところだったり。それから一番良いのが家から近いこと。実家から車で10分ですから。
(彼女たちの話は次回に続く)
希望を感じられる手仕事への眼差し
以上、全国各地で大工として颯爽と活躍する16名の女性たちが、何故大工になったかを語った生の声を紹介させて頂いた。部分的に似た話もあるにはあったが、やはり事情は一人ひとり固有のものだ。だからこそ、本稿では全員の声を取り上げた。
こうして16名の女性大工の話を書き写してみて改めて感じたのは、そのポジティブさだ。今回は大工になった経緯の部分のみ取り上げたが、そこからだけでも伝わってくると思う。このように大工という職業を、そしてものづくり人の仲間に加わることを、「かっこいい」という感 想に代表されるように肯定的に捉える感性が豊かに存在していることには、大いに勇気付けられる。ただ、学友の中でも大工になったのは「私だけです」という話が多く聞かれたのも事実である。これに関しては、他の職業から転じて大工の道に入った人が少なくなかった点に光明が見出せると思う。情報提供が重要であることは間違いない。
また今回の話は期せずして、属人的な技能と属人的でない技術の関係という、建築文化にとって、或いはものづくりの世界全体にとって重要なテーマを浮かび上がらせた。彼女たちが憧れの対象として古民家や宮大工に触れる時、そこには機械加工に依存しない手仕事への眼差しがある。他方、彼女たちが働く現代の木造建築の市場において、大工による墨付けや手加工を必要としない全自動加工機の普及率は9割を超えたとも言われる。高みがあるからこそのものづくり人の世界と、機械化や情報化が進展することで競争力が獲得される市場のメカニズム。この二つの折り合いのつけ方に関しては、いずれ本連載で腰を入れて考えなければならない。今回は、その頭出しとしておきたい。
それにしても、ものづくり未来人について考えるのに、それに属する彼女たちの生の声に耳を傾けたのは正解だった。日常的な言葉の中に、ものづくり人の世界の本質がすぐに表れてくるからだ。次回は、彼女たちの「大工になってから」を聞いてみたいと思う。
最後に、今回のインタビューにご協力下さった女性大工の皆様、またその所属企業・所属団体の皆様、そしてインタビューに聞き手や記録係として参加した研究仲間の皆様に、心より感謝申し上げ ます。