玉木俊明

玉木俊明

2007年ごろ、新潟県・中ノ俣にて。耕うん機に乗る楽しそうな二人。

(写真:佐藤秀明

メガバンクは地域を救えない

便利で金利の高いネットバンクが次々と立ち上がっている。資金力のあるメガバンクもDX化に力を注ぐ一方、開発力の高くない信用金庫は将来が危ぶまれている。しかし、地域経済の発展の鍵を握るのはやはり信用金庫なのだ。経済学者の玉木俊明氏が、人気ドラマや漫画の例を引きながら解説する。

Updated by Toshiaki Tamaki on February, 16, 2022, 0:00 am JST

半沢の宿敵、大和田暁は本当に悪人だったの

平成の民放テレビドラマ史上第1位の視聴率42.2%を記録した(2013年版)「半沢直樹」の主人公である半沢直樹の実家は、「半沢ネジ」を経営していた。半沢ネジの経営者であった父親は産業中央銀行(のちに、東京第一銀行と合併し、東京中央銀行となる)に融資を断られたことが原因で自殺してしまう。だが、地元の内海信用金庫が融資をしたため、半沢ネジは事業を続けていくことができた。

半沢は融資をしなかった大和田暁を恨む。それがこのテレビドラマの主旋律となり、2013年版のドラマは展開する。大和田は「晴れた時に傘を差し出し、雨が降ると傘を取り上げる」という銀行の特徴を体現する人物として描かれる。それに対し半沢は、顧客のことを真剣に考えるバンカーである。

二人はこのように対照的人物であり、視聴者は半沢に肩入れをするようにシナリオは設定されているが、筆者には、それはいささかアンフェアな描写というべきであろう(2020年版では大和田は改心していたが、ここではそのことは触れない)。

信用金庫とメガバンクの違い

ドラマでは、メガバンクと信用金庫の区別がつけられていない。これは現実の世界でもよくあることだ。だが銀行は株式会社であり、営利企業であるのに対し、信用金庫は地域の繁栄を図る相互扶助を目的とした協同組織の金融機関であり、主な取引先は中小企業や個人である[一般社団法人信用金庫協会]。

したがって私には、産業中央銀行のような大銀行が半沢ネジのような零細企業(せいぜい小企業)と本当に取引するのだろうかという疑問が湧く。そもそも全国展開をする銀行と地元に密着した信用金庫との機能は異なるのであり、大和田を悪人だと断罪することは不可能であろう。大和田は、あくまで大銀行の理論に従ったに過ぎない。

バーの壁
オースチンという寂れた街のなかにあるバーの壁。客が金を貼り、落書きをしていく。

長谷川清氏の研究によれば、従業員21-50人の企業でさえ、都市銀行をメインバンクとする企業は、25.5%にすぎなかった[「リレーションシップバンキング行政の成果と課題」成城大学経済研究所 研究報告 No.66、2013年 長谷川清]。したがって半沢ネジのメインバンクに産業中央銀行がつくことは、あまりありそうにない。

最初から信用金庫をメインバンク(この表現自体本当はおかしいのだが)にしておけば、半沢ネジは最初から財政的支援を得られたかもしれない。この点で、半沢の父は実は大きな経営戦略上の誤りを犯していたと言えるのである。

渡真利忍と半沢直樹

さて、ここでまた半沢直樹に話を戻そう。半沢の親友である渡真利忍は、外資系の銀行への転職も考えたことがある人物である。そして彼は、銀行は人事がすべてだと言い、ありとあらゆる人事情報に精通している。彼と半沢は、経営危機に陥った伊勢島ホテルを救うため、アメリカの巨大ホテルチェーンのフォスターに吸収合併されることを考える。渡真利はこう言う(2013年版)。

「よし半沢、フォスターはすべて俺が引き受ける……心配すんな、俺はもともと海外を相手にしたこういうデカい仕事がやりたくて、銀行員になったんだ。今やっと、その夢が叶う。親友のお前のためだ。なんでもやりますよ。バブル時代にやりたい放題やった連中の尻拭いをするために、俺たちは銀行員になったわけじゃない」

最終的に渡真利は伊勢島ホテルをフォスターの傘下に入れることに成功し、そのため半沢は伊勢島ホテルを救えなかったという理由で、出向させられることからは免れた。じつはこの渡真利こそ、メガバンク、さらには巨大なファイナンシャルグループで働くべき人物の理想像だと、私には思われる。

渡真利とは対照的に、半沢は小さな企業を大きくすることに強い興味を示す。おそらくそれは、自分の父親の会社が信用金庫から融資を受けることで立ち直ったことと大きく関係していた。であるならば、半沢はなぜ信用金庫で働かなかったのだろうか。それは私にとって、非常に不思議な点なのである。

2013年版の半沢直樹では、半沢は当初、大阪西支店の融資課長であり、中小企業への融資を主要な業務としていた。零細企業の経営者の息子として生まれた半沢にとって、それはきっと適性をうまく活かせる環境だったのであろう。だが、半沢は東京の本店へと異動になる。ここで半沢は2020年版での話を含め、行動パターンを信用金庫の職員からメガバンクの行員へと変革する。だが彼の根っこにあったのは、本当は信用金庫の職員のように、地元に密着し企業のことを考えるバンカーという精神なのである。

その違いは(信用金庫のことを持ち上げすぎているかもしれないが)、東京中央銀行と内海信用金庫の相違でもある。

バブルとそこからの回復

ところでメガバンクとは、比較的最近できた名称である。バブル崩壊以前の大手銀行は、都市銀行と呼ばれていた。バブルにより巨額の損失を抱えた都市銀行は、大合併時代に向かう。より正確にいうなら、山崎豊子著『華麗なる一族』(新潮社)に見られるように、少なくとも戦後、銀行は合併を繰り返してきた。それが加速化したのが、バブル崩壊による不良債権の後始末であった。

さらに1997年には、財閥の解体とともに消滅した持株会社が解禁された。1998年には金融システム改革法によってそれ以前の護送船団方式は改められることになり、日本の金融は世界に開かれるようになった。日本の金融市場は世界の金融市場に伍していけるはずであったが、現実には成功していない。

金融持株会社は、銀行業のみならず、証券や保険まで営むことになった。もはや銀行業と証券業の垣根は取り払われた。銀行の窓口で、投資信託などの金融商品について説明されたことのある方も多いだろう。

結局それは大きな金融資本の再編成の動きであり、日本を全体として捉えた視点である。このような観点からの説明には、消費者(顧客)である個人、さらには企業にとって一体何がプラスなのかという視点があまり感じられないといえば、果たして言い過ぎだろうか。消費者は、消費者の立場から金融機関を選択すべきである。そのような発想が、ここで述べた変革を実行した当事者たちに本当にあったのだろうか。

付け加えるなら、この政策は日本の金融が諸外国と競争することを述べているのであり、ここの地域がどのようにして発展するのかという視点はあまりない。地域経済がどうすれば発展するのかということは多くの人々にとって非常に重要であり、それにはここに示した政策とは別の政策が必要になろう。

リレーションシップバンキング

そのためにここでは、地域経済を支える信用金庫の役割に注目する。金融庁は地域密着型金融(リレーションシップバンキング)の機能強化を大きく打ち出したが、そのために重要な機関として、信用金庫があることはいうまでもない。

わが国における中小・地域金融機関の現在の業務展開を見ると、以下のような点が基本的な特性として見られる。

営業地域が限定されており、特定の地域、業種に密着した営業展開を行っている中小・地域金融機関は、例えば地方銀行64行ベースで本店所在地県内における 店舗比率81%、預金調達比率86%、貸出運用比率72%(2002年3月末) などの数値に示されるように、営業地域が限定的であり、特定の地域に密着した営 業展開を行っているという特性を有する。また、協同組織金融機関の場合には、法令上会員・組合員資格が地区内の事業者等に限定されているほか、特定の業域・職域に限定されることもある[金融審議会 金融分科会 第二部会「リレーションシップバンキングの機能強化に向けて」平成15年3月27日]。

さらに信用金庫の役割について、遠賀信用金庫会長(インタビュー時理事長)の中村英隆氏は、以下のように語る。

「金融界に身を置く人間は、なまじプロであるがゆえにお客様との間で最優先すべきであることは「利回り」だと考えがちです。しかし、私どもはわずかな金利の違いよりも地域でともに生きる人々との心のお付き合いを大切にすべきだと考えています。
ふるさとで、小さな身を粉にして地域貢献活動を展開する、これが「身の回り」を第一にする私どもの決意です。先に申し上げたとおり、お客様の立場からの「身の丈金融」は滅びてしまったかもしれませんが、私共は今、信用金庫という存在をかけて新しい身の丈金融を地域社会に提供し続けたいと考えております。」
(中村英隆・増田正二・大林重治『現論 信用金庫経営――3信金理事長の白熱鼎談』一般財団法人 金融財政事情研究会、2013年)

ここには、現在、経営状況が決して楽ではない信用金庫の理事長の決意・矜持が述べられている。これは、日本政府が金融ビッグバンで示した金融のあり方とは異なる、地域経済を活性化したいという意思があらわれているのだ。

まいど! 南大阪信用金庫

半沢直樹も渡真利忍も架空の人物であるが、中井真吉(通称ナカやん)という架空の人物が南大阪信用金庫(ナンシン)の主人公である(平井りゅうじ原作・北見けんいち作画『まいど! 南大阪信用金庫』小学館)。彼は、大阪南部にある地元の中小企業の発展のために、それこそ骨身を惜しまずに働く。

ナカやんは、スクーターでお得意さん回りをする。半沢が大阪にいたときには公共交通機関を使っていたが、おそらくそれほど便利な立地にはないのであろう。また、自動車では小回りがきかないし、駐車場を探すのに困るし、お客さんに会うときに仰々しい印象を与えるかもしれない。
そして大阪人らしく、挨拶は「まいど」である。初めての人にも「まいど」であり、これはおそらく今後も頻繁に会って、取引先になってもらいたいという気持ちのあらわれであろう。継続的な取引関係こそ、信用金庫には望ましいのである。
ナカやんがとあるお得意さんに融資をしようとしたところ、課長から返済能力について疑問を投げかけられる。なかヤンは、「けど、いざとなったら担保不動産の回収できますし」と反論する。
それに対し課長は、こう答える。
「ええか、うち(信金)は街の金貸しとちゃうんや!! 結局、投資負担に耐えられんと家も土地もなくして一家離散にでもなったら、どう責任とるんや? うち(信金)は嫌でも地元と一緒に生きていかなならん。大銀行みたいに都合が悪うなったら『はいさよなら』ちゅうわけにはいかんのや。ええか、信金の渉外マンちゅうのはな、単なるセールスマンとは違うんやど。企業や個人の未来を開拓してやる“ライフプランナー“なんや」

半沢が目指していたのはこのような人ではなかったか。しかし、メガバンクの行員でいる以上、転勤はつきものであり、一つの企業と長く付き合うことは難しい。信用金庫の営業範囲はメガバンクと比較するとずっと小さく、仮に担当ではなくなったとしても、関係がすぐに断ち切られるわけではない。銀行なら、担保があるなら取引相手にカネを貸すだろう。しかし半沢は、そうならないためにさまざまな方策を考えるべきだと主張しており、その主張は、東京中央銀行ではなく、南大阪信用金庫でこそかなえられるのではないか。
もし半沢直樹がこの漫画を読んだなら、なかヤンに嫉妬するのではないかとさえ思われるのだ。

打出の小槌
浅草寺近くの土産物屋で売られていた打出の小槌

渡真利忍・半沢直樹・中井真吉

渡真利忍・半沢直樹・中井真吉のような人たちは、現代の日本の金融業を支える上で、誰一人欠けてはならない人物なのである。
銀行はもはやカネの貸し借りの利ざやだけでは生きていけず、証券業務や保険業務、さらには投資信託なども含む巨大なファイナンスビジネスへと変貌した。メガバンクは、日本だけではなく、全世界に目を向け、世界の金融会社と競争しなければならない。そのときに必要とされるのは、情報通であり、大企業の統合の橋渡しをできるほどの力量をもつ渡真利忍であろう。

半沢直樹がもし東京中央銀行の頭取になったとすれば、ファイナンス全体に関する知識はなく、同行を発展させるのは難しいのでしないか。彼にはむしろ、大中小の企業の成長を担う融資担当の役員が相応しいのではないか。2020年版の半沢直樹を見て、そのように感じた。
なかヤンこと中井真吉には、信用金庫の支店長として頑張って欲しい。彼なら、中小企業、さらには零細企業の立場に立った金融ビジネスができそうだからである。

経済学では、企業は利潤の最大化を目的としている。しかしそこには、労働者の視点が欠落している。企業は労働者を大切にし、彼らができるだけ長く働けるように尽力すべきではないか。そのために必要とされるのは、渡真利忍・半沢直樹・中井真吉のような人たちがたくさんいて、それぞれの役割に応じた仕事をすることだろう。彼らは、あるべき姿を体現した金融パーソンなのだ。