松浦晋也

松浦晋也

アメリカ・フロリダ州にあるケネディ宇宙センターの展示物。1969年撮影。当時、アポロ11号が月面着陸に成功し、現地は沸きに沸いていた。

巨大な宇宙から持ち帰れるものは情報だけである

残されたフロンティアである宇宙。なぜ、人は莫大な予算を使い、ときには人命を賭して宇宙へ向かうのだろうか。今、宇宙へ向かうことの意味をノンフィクションライターで科学ジャーナリストの松浦晋也氏が読み解く。

Updated by Shinya Matsuura on January, 24, 2022, 0:00 pm JST

現実は死屍累々

人間は、人間に関するゴシップが大好きだ。「誰それが宇宙を飛んだ」という話が重なれば、その方向で耳目を集める記事を書きたくなるのは理解できる。
が、宇宙ビジネスはそう簡単なものではない。宇宙をビジネスの場とする取り組みは1981年の米スペースシャトルの就航から始まったが、そこから現在までの40年の道のりは、死屍累々といっても良い。これまでに、ビジネスとしての離陸に成功したのは、第一に通信衛星に放送衛星。そしてここにきて地球観測衛星がビジネスになりつつある。これらの進展によって、ロケットによる衛星打ち上げビジネスも軌道に乗った。今、ビジネスになっている、あるいはなりつつある分野に共通しているのは、「宇宙から持ってきているのは情報だ」ということである。

では、なぜ情報だけなのか。
1981年4月、最初のスペースシャトルが打ち上げられた。運行ナンバーSTS-1、オービターは「コロンビア」。この時点で、スペースシャトルは宇宙への輸送コストを低減する画期的な宇宙輸送システムだと考えられていた。
スペースシャトル以前の、アポロ計画に代表される宇宙計画は米国とソビエト連邦との「刃を交えない戦争」だった。東西冷戦の代理戦争だったといってもいいだろう。戦争である以上勝利することが至上命題であり、そのためにはどれだけコストをかけても許された。が、それは国家の論理であって経済原理に従う民間の論理ではない。民間セクターを宇宙分野に呼び込んで、宇宙産業を育成するにはどうすればいいか。宇宙へのアクセス手段である宇宙輸送システムの運航コストを下げて、「安く宇宙に行けるようにする」ことだ。
そのためのスペースシャトルだった。シャトル運航開始と共に、米国は様々な宇宙産業育成策を打ち出した。
しかし、シャトルは1986年1月の「チャレンジャー」爆発事故で、その問題点が明らかになった。宇宙へのアクセスコストを安くするはずだったシャトルは、安くなるどころか使い捨てのロケット以上にコストの掛かる失敗作だったのだ。
同時期、米レーガン政権は様々な規制緩和策を打ち出して経済を活性化させようとした。その中に、それまで国家機関の独占だった国際衛星通信事業への民間資本の参入を認めるという政策があった。政策に応じて、いくつもの事業者が国際衛星通信事業に参入したが、それらの事業者の衛星をどうやって打ち上げるか——当初はシャトルで打ち上げるつもりだったが、シャトルは民間の事業者が利用するには高価かつ危険すぎるものであることが明らかになってしまった。すると旧来の使い捨てのロケットを使うしかないが、この時米国は輸送系をスペースシャトルに集約する決定をしていた。「デルタ」「アトラス」「タイタン」という既存の使い捨てロケット3機種は、製造を中止してしまっていたのだ。チャレンジャー事故を受けて生産再開を決定したものの、これら3機種の運用が再開できたのは1989年に入ってからだった。

その隙を突いて、一気に衛星通信事業への参入者たちからの契約を取り付けて、立ち上がりつつあった商業打ち上げ市場のトップに躍り出たのが、欧州のアリアンスペース社だった。アリアンスペースは、欧州宇宙機関(ESA)が開発する「アリアン」ロケットを使って商業打ち上げを行う商社兼打ち上げ事業者として1980年に設立された。ESAのアリアンロケットは1979年に最初の「アリアン1」ロケットの打ち上げに成功し、その後「アリアン2」「アリアン3」と能力増強を進め、1988年には商業打ち上げに向けた真打ちというべき「アリアン4」ロケットの打ち上げを開始した。アリアン4はコストと性能、そして成功率のバランスが取れたロケットで、衛星事業者から歓迎された。

1990年代、商業打ち上げ市場は、一強のアリアンスペースに、復活したアメリカのデルタ、アトラス(タイタンは米官需打ち上げのみの運用となった)。旧ソ連崩壊後にダンピングに近い低価格で商業打ち上げ市場に進出してきたロシアという三つ巴の様相となった。そこで基準になったのが、アリアン4の価格だった。1回の打ち上げでおおよそ1億ドル。アリアン4は、当時標準であった軌道上初期重量1トン級の静止衛星を2機同時に打ち上げることができた。つまり衛星1機あたりの打ち上げ価格は約5000万ドルだ。

ここで、衛星側に目を向けてみよう。この時期の商業衛星は、あらかたが静止衛星だった。
静止衛星というのは静止軌道で運用する衛星。静止軌道というのは、赤道上空3万6000kmの円軌道だ。この軌道に入る衛星は、24時間で地球を一周する。つまり地上から見ると空の一点に静止して見えるわけだ。衛星の移動に合わせて地上局のアンテナの向きを変えなくてもいいし、衛星側もアンテナを動かして地上局を指向し続ける必要がない。通信と放送には大変都合の良い軌道だ。
しかし、静止軌道は軌道力学的に完全に安定というわけではない。地球が完全な球ではなく少し歪んでいるために、静止軌道の衛星は放置するとどんどん位置がずれていく。このため静止衛星は時々、小さなロケットエンジンを噴射して位置を保持する必要がある。この姿勢維持のための推進剤が枯渇すると、それが静止衛星の寿命となる。1980年代から90年代にかけて、静止衛星の寿命は10年程度で設計されていた。
つまり、民間の衛星事業者としては、衛星の価格(ものにもよるがだいたい1億ドル)、打ち上げ価格(アリアン4なら約5000万ドル) 、そこに打ち上げに失敗したり軌道上で衛星が故障した時の保険、10年分の運用コストなどを足し合わせた以上の収益を、10年であげることができる用途でしか、ビジネスを展開できないということだ。