佐藤 卓己

佐藤 卓己

テレビ出演する当時のニューヨーク市長ジョン・リンゼイ氏。1967年から1969年の間に撮影。リンゼイ氏は市民のためにユニークな政策を打ち出したことで知られる。「歩行者天国」の実施もリンゼイ氏の実績の一つだ。

「有害である」とは効果を裏付ける評判である

DXの時代においては、メディアの形もさらに変化していくことが予測される。すでにあちこちに出てくる広告に対して辟易している人も少なくないだろう。しかしメディア研究をしている佐藤卓己氏によれば、メディアとはそもそも「広告媒体」であり、つまり広告と同体なものである。消費社会では「ヒト・モノ・コト」あらゆるものが情報商品になりうるのだという。メディアや広告の機能とはそもそも何なのか、それには明確な「効果」は期待できるのかを聞いた。

Updated by Takumi Sato on January, 17, 2022, 9:00 am JST

メディアは広告媒体である

「メディア」はラテン語Mediumの複数形であり、もちろん英語でも宗教用語としては「霊媒」などの意味で使われてきた。しかし、今日的な意味の用法では1920年代にアメリカの広告業界が雑誌・新聞・ラジオを指してmass mediumと呼び、その集合名詞mass mediaが「広告媒体」として使われ始めた。それゆえ日本でも「メディア」は戦後長らく広告業界のジャーゴンだった。日本社会が消費社会化した1980年代に一般用語として新聞などでも使われるようになった新語である。つまり資本主義の高度化と不可分な概念である。

当然ながら資本主義以前に今日的な意味でのメディアは存在しない。商品としての新聞は、商業活動があってこそ生まれたものだ。もちろん新聞史の本では、古代ローマの官報や唐の時代の邸報、江戸の瓦版などに起源を求めようとする。しかしそれが直接今日のニュース・ペーパーにつながるわけではない。広告料収入こそが廉価で大量に新聞を刷ることを可能にしたのだ。雑誌も放送も同じビジネスモデルの広告媒体として括ることができる。

仮にそうでないと、電話、レコード、CD、あるいは郵便の手紙もすべて「メディア」ということになる。もちろんいずれも情報媒体ではあるが、ケータイ会社、芸能事務所、郵便局に就職希望の学生が「メディア志望」と言うことはないはずだ。いまでも「メディア志望」の学生が希望するのは、出版社や新聞社、テレビ局などの「広告媒体」企業である。ネット情報企業すら「メディア」というより「IT」と表現することが多い。むろん情報社会化が進めばそうした前提は変わってくるだろう。むしろ意思を伝える媒体をすべてメディアと呼ぶことが普通になる。おもてなしの料理も「味覚的メディア」になりうるし、香水は「嗅覚的メディア」となる。だけどいま私がメディア論で論じる「メディア」とは、はやり20世紀のアメリカ消費社会で成立した「広告媒体」が前提となる。もちろん、「広告媒体」を政治的に横倒したのが「現代プロパガンダ」である。その点で、高木徹さんの『戦争広告代理店』は優れたタイトルセンスといえる。

実は私の『現代メディア史』は「メディア=広告媒体」で貫かれている教科書だが、北京大学出版社で中国語版が発行されたとき、訳者がわざわざ「これは日本で標準的なテキストではありませんね」と言っていた。しかし資本主義から離れてメディアを議論するのは現代中国でもなおさら難しいのである。

1969年、ニューヨークのチャイナタウンにて撮影
1969年、ニューヨークのチャイナタウンにて撮影。まだ毛沢東が元気だったころ。チャイナタウンを歩く人は壁新聞を熱心にみつめている。

ミニコミ誌のなかには広告を載せていない媒体もあるが、それらはおそらく意識的に「広告媒体である」ことを否定しようとしている。マス媒体であることを拒否して広告料収入を放棄しても、情報伝達媒体という位置付けは可能なのではある。しかし、広告をなくしたミニコミ雑誌は、「雑誌」の一ジャンルというよりも「手紙」の延長上にある媒体といえるかもしれない。